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「恩師墓参と遅い卒業旅行」/2008年11月15日〜21日 (※写真クリックで拡大表示)

「恩師墓参と遅い卒業旅行」 「恩師墓参と遅い卒業旅行」 「恩師墓参と遅い卒業旅行」
メディナ・デル・カンポのアルバレス先生の墓です。H20.11.16 前列 谷村さんのご家族、後列右より 谷村さん、アルバレス先生の甥のヘススさん、山本夫人、木村、大橋、山本 エルマーナ・コラール先生の墓です。セビーリャの南のレブリーハという町です。H20.11.18
「恩師墓参と遅い卒業旅行」 「恩師墓参と遅い卒業旅行」 「恩師墓参と遅い卒業旅行」
山本君はスペイン語の詩を朗読しました。 私(木村)はスペイン語で感謝を述べました。 バルセロナのヨットハーバーレストランにてイカ墨パエリャを初めて食べる。H20.11.20

「恩師墓参と遅い卒業旅行」

2008年11月30日
木村 慶次(1970年イスパニア文学科卒)
11月15日
関空から山本夫妻、大橋さん、木村の4名でマドリッドへ出発しました。 空港には龍口陽子さんと言う上品な美人が迎えにきてくださいました。疲れが少し安らぎました。 1973年卒の西馬ともこさんの部下のかたです。
16日
アルバレス先生の墓のある、メディナ・デル・カンポへ向かいました。車で1時間30分ほどの距離でした。現地で谷村ファミリーと合流しました。彼は1988年卒とのことでした。 奥さんのパロマ、百合、太郎の4人家族で我々を迎えてくれました。全員日本語がペラペラでした。アルバレス先生の甥っ子さんのヘススさんが、墓を案内してくださいました。 最初に山本君がイスパニア語でスピーチしました。なんとも言えない不思議な素晴しいふんいきでした。次に私もイスパニア語で先生に1月のお見舞いに感謝を述べ、又体調が戻ったことを、お伝えいたしました。胸がつまりました。 晩秋の墓場のあたりに、幸せな空気が流れていました。全員の気持ちも一緒だと感じました。
17日
マドリッド見学の後、夕食を1984年卒の木下容子さんといっしょにいたしました。彼女も現地で日本の男性と結婚して子供も大学生ですと、目を輝かせて説明してくださいました。
18日
 
新幹線のAVEでセビーリャへ行き、そこから車で1時間ほどのレブリーハへ行きました。 コラール先生の故郷です。 先生の墓は教会の墓地で墓守さんに案内してもらいました。その前にお参りの花を向かえに在る花屋さんで買うことにしました。山本君が真っ赤なバラを希望し奥さんの緑さんも、それが良いと言われましたのでコラール先生に似合う真っ赤なバラを先生の墓にささげました。この時もスピーチは、イスパニア語でおこないました。 安堵感、幸せ感、感激、もろもろでした。
19日
セビーリャから3両のローカル汽車でグラナダへ、移動しました。 この街には、かの有名なアル・ハンブラ宮殿があり、晩秋の古城を堪能しました。イスラム教文化とキリスト教文化の融合の最高傑作と思っています。
20日
グラナダからエアーでバルセロナへ移動し再度、日西通訳の龍口さんが迎えてくれました。 ヨットハーバでランチを済ませた後、サグラダ・ファミリアへ行き、ガウディー建築の傑作の途中の過程を見学し、夜はガウディが設計したレストランで高級な厳かなディナーパーティを楽しみました。
21日
バルセロナからアムステルダム経由関西の予定だったのですが、アメリカ人グループの団体がムチャクチャな荷物のため、飛行機の出発が遅れ、アムステルダムで乗り遅れ、ルート変更でソウル経由関西で夜に無事帰ってきました。最後に大変な冷や汗もんでした。
帰国してから疲れがでましたが、充実感の方が上回りました。これでイスパニア訪問記を、終わらせていただきます。 一緒に行った仲間たちや、現地で世話してくれた英知の後輩たち、ヘススさんには、心から感謝申し上げます。 ありがとうございました。